感じること
クリニカルアートをはじめてから、見るもの全てが変ったように思います。
これまで見てるようで見ていないものを、見れるようになりました。
感じることができるようになったと言ってもよいかもしれません。
朝日を見れば、輝きの余韻や、空気の色も感じるようになりました。
なすを買ったら、これまでへたなんて、ちょきんと切り落とて見ていませんでしたが、ぴょんと跳ねていて模様もあり、とってもかわいいことに気がつきました。
これまでは、りんごといえば赤だったものが
味や香りの色まで感じられるようになり、色鮮やかに変りました。
こうだろうと無意識に思い込んでいる既成概念。
本当にものを見るというのは、思い込みを払拭し、
目には見えない部分までも「感じること」なのかもしれません。
そしてこの「感じること」ができると、人はココロが元気になるように思います。
辛くて苦しいとき「感じること」ができなくなっています。
「感じること」はココロのバロメーター。
苦しい時こそ、あえてクリニカルアートを通して感じる時間を持つことで、それが日常にまで反映し、自然とココロのリハビリになっているように思います。
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